ぼくのあしあとを顧みるシリーズ

これまでの人生を振り返って、あれやこれや思うところを綴って参ります。

01 引退しました。(閑話休題)

~応援団を顧みるシリーズ vol.1~

読み飛ばしたいプロローグ

 2019年10月22日(火)、奇しくも天皇陛下即位の礼が催されました国民が休日に、我々東北大学学友会応援団第57代幹部は正式に卒団する運びとなりました。即位の礼に先立ちまして、現地では奇跡的な現象を多く拝観することができたと伺っておりますが、生憎と仙台は川内北キャンパスの空模様はすこぶる悪かったようでございます。非常に「らしすぎて」うっかり興奮してしまい、朝方部屋のカーテンを開けたときに心の底から賞賛の拍手を送ってしまいましたが、今となっては誰に向かって拍手をしたのかも、それが賞賛の拍手だったのかもよくわかりません。天叢雲剣の代わりにジョワユーズでも帯刀していそうなものでございましたから当然の確定演出なのだろうかとクソでかため息をつくのもためらわれてしまい、やり場に困った「この気持ちはなんだろう」というそれを手を叩いてごまかしたような、さしずめそんなところであったのではないでしょうか。目に見えないエネルギーの流れが大地から足の裏を伝わって私の腹へ胸へそして喉へ声にならない叫びとなって込み上げてきたのでした。ジョワユーズといえば中世ヨーロッパにおいて有名なサーベルの名称らしいですが、ナポレオンの戴冠式で用いられたそれは、彼自身が職人に作らせた偽物である説も濃厚とのことで、3周と半分まわって可笑しさの窮みなのでございます。次稿でも触れるかと存じますが、卒団に際しまして、私の心には一点の曇りもなく、非常に穏やかな気持ちで当日を迎え(なければならなかっ)たことは言うまでもありませんが、その心の様、まるで草の戸も住み替はる代ぞ雛の家と言わんばかりであり、そのままマスカレイドなぞに参加できそうなものでございました。こうやってキーボードと戯れているとあながちこれも唯の虚偽ではないのだろうと、嗚呼きっとこれが当該団体におけるライフアックの其の壱であったのかと改めて思い知り、綽綽と涙を流すふりをしてみるのでした。

…あまりにも下らな過ぎて、なんならくだらなさも中途半端がすぎて寒すぎるのでもうやめてしまわなくてはなりません。どうせ、細々としたあれやこれやは後からピックアップして書くことになりそうなものでございますから、ぱっと思いつくことを思いつくままに書き留めておきたく。と、いうのも実質的な世代交替から2か月弱、完全に当該団体関連の感覚が麻痺しており、後数か月もしてしまえばまともな内容を綴られるかも怪しいもので、今のうちにかけることは書いておかねばならぬ、といった次第なのであります。ということで今回は章立ても定石も何もかも取っ払ってやってしまいましょう。本当に申し訳ありません。それにしても今回ばかりは書きたいことをそのまま書いてしまっていいものかどうか悩んでしまいますよね。…最初のパラグラフを綴った時点でもはや手遅れかもしれません…。以下本文。 

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 己が無力さ故後悔することは星の数ほどあった。それが酷く悔しかった。卒団するまでに少しはマシになるかと思った。少しはマシになるように努めた。無力なりに働けるポジションを探した。自覚と意識から見直した。見方も新調した。引退して思ったことは「人はそんなに簡単に変われない」ということと「考えれば考えるだけ愚かしさが目に見えて辛くなる」ということと「いうて自分はどれほど自分が無能でも愚かでもそんなに気にならない」ということだ。きっとこれだけ貴重な経験をしてきて尚、本当の意味で痛い目を見ていないからこんな風に思えるのだろう。結局、悔しいと思うのはその場限りの感情で、長い目で見たときに自分は本質的に何も感じていないというのが正しいか。ただし、自身の愚かしさは以前にも増して自覚する機会が増えたため、「自分が無能であることを悔いてみせる演技」をするスキルは上達したと感じた。

 上に立って団体を指揮するのはやはり向いていないと感じつつ、自分がやったほうが早い(良い)という傲慢な考え方は最後まで消えなかった。足りない技量は時間と手間で解決してきたが、きっとこの先このやり方は通用しないだろうと、引退直前の7月~9月に感じた。と、同時にそれでも自分がやってきたことは間違っていなかったと感じる場面も多く、今自分ができる最大限の努力をしたという点で評価できる行動もあったかとも思いなおした。責任の取り方は最後まで分からなかった。何が責任かなんて本当に分かったものじゃない。少なくとも上にたつものが考えて行う「責任をとる」という行為の多くは所詮自己満足にすぎないのではないかと思った。思って、そしてそれをどうともできなかった。けれどもそれについて特に自分の力不足とか、何かそういうものは感じなかった。まったく利己的な人間である。

 「代」というシステムが本当に馬鹿らしいと思った。このシステムはもっと人間ができている団体でなければ使いこなせないと思った。時に意見の衝突はその意見をそれぞれ洗練するだろうが、それは各々のフィードバックあってのこと。それすらできないのなら衝突するだけ時間の無駄だ。実際に無駄だと思って真面目に意見交換を行わなかったこともある。しかしそんなことをしている時点で自身もまた愚か者なのだと幹部になってから思った。幹部になってから気付いても遅すぎるとも思った。そして卒団してからあれやこれや思いつくたびに、今更…と思うようになった。もっとこういう本質情報を交換できればよかったのに。数年間から代と代の風通しを良くする「構造的な」改革は進んでいると思うが、精神的な部分でこの改革は阻害されていると感じる。どうしても前後に負の感情が生じる場合が多くみられる。悲しきかな今となってはもう内側からそれを変えることはできない。外側からはきっともう手の施しようがない。私の経験がそれをゆうに物語っている。

 後輩に伝えたかったけれど伝えられなかったことは山ほどあった。きっと今となってはストレートに伝えることはできない、うまく伝わらないだろうと思って、最後の場では何も口にしなかった。できなかった。こればかりは本当に悔やまれるべきことだと思った。身から出た錆だし仕方ないかとも思ったが、大分歪な「たたきだい」を残してしまったと思う。本当に先代、先々代、先々々代の先輩方に顔向けができない。こんな難しい団体、よく先輩方は手綱を握って導いてきたものだと思ったものである。まったく、恥も外聞もない散り方であった。これから少しでも後輩と腹を割って話す機会が訪れることを切に願う。

 唯一の財産は同期の存在だろうか。少し残酷な書き方になってしまうが、やはり最後まで苦楽を共にした彼らは、この団活動における唯一の「財産」と言い切ることができる。ここまでの大学生活で唯一、仮面を外して語らえる奴らだ。詳しくはどこかで一本の文章にしたいのでここで多くは触れないことにする。代がなんとかといったがそれでもやはり私にとって同期はかけがえのない存在だった。

 嗚呼やっと終わった応援団生活。もう一回やり直したいとも思わないし、もう一年やりたいとも思わない。きっとここでの経験が何かに活きるとか、自分を成長させてくれてありがとうとか、そういう月並みで綺麗ごとみたいな感想も沸いてこない。関係各所への申し訳のない思いがないかと言われればそんなことはないが今となってはそれを真摯に伝えることも叶わない。ならばその数年に意味など要らず、ただここに残った歪な形の達成感と虚無感がこの数年間の答えなのだろうと、そう思うことにした。

読み飛ばしたいエピローグ

 お目汚し大変申し訳ありませんでした。こうやって振り返ると本当に惨々たる有様ですが、決してそれだけが本質ではないことをこれ以降のブログにて綴ってまいりたいと思います。改めましてこれまで様々な形で私の所属していた間の東北大学学友会応援団をご支援いただいた全ての方々に感謝申し上げると共に、今後の当該団体の活躍を心よりお祈り申し上げます。このような書き物の下に形だけ謝辞申し上げるのもどうかと思いますが、述べないのもなんだか違う気がするのでこれをもって本日は筆をおかせて頂きます。

 

2019年10月某日 加藤禎也